10月23日授業研究会における佐藤雅彰先生の助言
授業研究会の中での佐藤雅彰先生の発言を抽出。
文中、子どもの名前はすべて仮名です。
| 10月23日 1年 国語 「声に出して読もう」 (本時1/2) 授業計画
講話というのではなくて、二人の先生がいろいろ準備をされて今日の授業を迎えられたのではないかと思うのですけれど、お二人の授業を見させていただいて私が学べたこと、特に、ああやっぱりこういうことかと今日も感じたことをいくつかお話しさせていただきたい。 ■文学の言葉のひだを味わう 最初にTK先生の授業ですけれども、あの今日は絵 かき歌というのが題材だったわけですね。で、ここで「うた」というのは普通の歌唱の歌となっていますけれども、他に詩という字を書くわけですよね。で、これを詩というふうに考えた時には、これを読み取ることではないというんですよね。読み取るのではなくって、言葉を味わうということですよね。これが大事ではないだろうか。ところが、中学校の国語もそうなんですけど、詩とか俳句とか短歌を扱う時に、みんな読み取っているんですよね。これはどういう意味だというふうに。ま、それはそれで読み取りはしてもいいんですが、読み取ったことをひとつにまとめることはないわけです。文学の言葉とかこういうところで使われる言葉は、いろんなところにひだがあってですね。そのひだを自分なりに感じていくこと、それが一番重要なことだと思うわけです。それをひとつのひだにしてしまうのではない。言葉にはいろんなひだがあるんですよということを、国語の先生は感じなきゃいけないじゃないだろうか。 そういう面では、今日の子どもたちは1年生は1年生でかわいらしくて、この詩に何回も何回も出会う中で、ごく自然にあの、小野先生もちょっとおっしゃってましたけれども、リズム的なものが出てくる。で、もうひとつは言葉の面白さってことに気づいてくる。 そういう授業ではなかったかなと思います。 まあ、一番最後音読まで行きたかったということですけれども、音読というのはもともと調子とかリズムを味わうためにやるもので、まさに今日はそういうことであって、意味にだわる必要のない授業でしたね。 同じことをもう一回繰り返しますけれども僕は国語の授業の中で大事なことは、ひとつはですね、言葉に気づく感性を育てることかなあというふうに思っています。 ■テキストの言葉に気づくしかけ で、じゃそれをどうやったら言葉に子どもたちが気づくんだろうかといったときに、最初にTK先生が「おもしろマーク」と「はてなマーク」と「おもったマーク」というものを黒板にぽんぽんと貼られましたよね、ああいう形で子どもたちに線を引かせる。あれが、なんか、子どもたちがテキストの言葉につなげられているのかな、あれは、特に参考になるんではないのかな。 あの、「言葉に注意してね」なんて言ったって、なかなか子どもたちはそんな簡単には気づかないわけで、ああいう「おもしろマーク」だとか「はてなマーク」だとかそういう形で気づかせているという工夫ですね。これがよかったなあ。 ■子どもの気づきから学び合いが始まった しかもその授業がですね、子どものそうした気づきから学びあいが始まったということです。ふつうは、だいたい先生が第一発問してるんですよね。「このことについてどう思いますか」って。そうではなくて、子どもたちの気づいたこと、疑問からスタートしている。これが素晴らしいなあというふうに思いました。 ■子どもたちは思考していた 『三角定規にヒビ入って』 で、もうひとつあの、1年生といってもですね、今日は友だちとのかかわりをかなりたくさん使っていたわけですけれども、1年生でもコミュニケーションの中で創造性とか発想とかいうんでしょうか、そういうふうなものがつけられるんだなあと思いました。 というのは、実はこの子たちは、ただ単にこのテキストの言葉に気づいているんではなくって、そこから思考しているんですね。全員がまだそのように育っているのではないかもしれません。何人かが この言葉から、とっさにですけれども自分で思考しているんですよね。その思考する言葉が生まれて出ているということ、1年生でもそういうことができるんだなあと感心したんです。具体的にどういうことかというと、『三角定規にヒビ入って』という言葉があるんですよね。そうしたらその時にこう言う子どもがいたんですね。 「普通ならギザギザになるのに、なぜ真っ直ぐになるの」 ってきいているんです。これは、ここの詩の言葉の中にはないんですよね。だけど最初に「三角定規にヒビ入って」という言葉から受けて、とっさにそこで自分が思考した言葉を使っているわけですよね。これが重要なこと。そういうふたつのこと、まず「三角定規にヒビ入って」という言葉、そしてそれから生まれた思考したこと、創り出している。 ■対話する子ども もうひとつは佐藤さんっていったかな、「繰り返しが楽しい」と言っているんですね。ずっと他の子どもたち 「繰り返しがある」「繰り返しがある」と言っていたのに、彼女は「繰り返しが楽しい」って言っていたんですね。「楽しい」なんてどこにもないわけですよね。自分がそこで思考した言葉を使っているです。 そして、他の子どもがそれに反応している、ちゃんと子どもが反応したんですね。 「なんで?」って言ったんです。「楽しいって何で?」ってまた反応したんです。でそこに対話が生まれているわけですよね。そしたら佐藤さんは、「最初、棒だったものが、だんだん、いつの間にか葉っぱになっていく」という。そういう自分の思いをちゃんと自分の言葉で語っている。これが素晴らしいなあ。 こういうような子どもたちを一人でも二人でもですね、小学校一年から育てていけば2年生なったらもっと深い学びをですねできる子どもたちに育つんじゃないかな。 是非こういう言葉に気づく、そして言葉からさらに自分で思考する言葉をつくっていく、そういう子どもたちが育ってほしいなというふうに思う。感心いたしました。 ■仲間とのかかわり それから、最後にたかし君にですね。終わってから先生が「今日はけんかしなかったよね」と言葉をかけたもんですから、たかし君のところに行って「いつもけんかするの?」ってきいたら「うんいつもするよ」(笑い)って言ったんですよね。素直に言ってくれました。 なぜ今日はたかし君はけんかしなかったんだろうか?てことはま、いつも対立することがあったんだと思うんですね、だからいつも自己主張やっているからけんかになる。今日は仲間のことを聴こうとすることが生まれてきてた。仲間とかかわったことによって、それが、けんかにならないで済んだ、まあ、ことなんだなあ、仲間のかかわりは非常に重要だなぁということを勉強させていただきました。 10月23日 5年 社会 「くらしを支える情報」 (本時5/12) 授業計画
■テンションを低く、子どもを見とる お二人に共通していることは、お二人とも非常にテンションが低いですよね、子どもに語る言葉が。テンションが低いということはそれだけ子どもをじっくりと見てられるということなんですよね。 ■全員を参加させるグループ もうひとつは、今日のグループは、全員が学びに参加できるようにしたいという、そういうことだったんだろうと思うんですけれど、で、グループ活動というのはいろんな入れ方があるんですね。たとえば、この問題を全員解けるようにしたいという時にグループを入れるという。 今日は、できる子同士で、どんどんいい意見をひろいながら授業を前に前に進めていくのではなくて、途中で全員の子どもたちに参加させたい、だから「となりどうしで話をして」という形にすると、全員が参加するわけですよね。そういうお二人のねらいが十分果たされていたんじゃないかなというふうに思います。 ■子どもの表情の豊かさ こんどは、KMD先生の授業の中で学べたことはやはりあの、KMD先生の教師と子どものかかわりが非常にいいということですね。本当にていねいにかかわってあげられていた。だからそれが、子どもたちの表情の豊かさにつながっていたんではないかと思います。 ■グループ活動の時の教師 ただ、まあ、場合によってはですけれども、今日はあま りグループ活動がなかったし、個人活動があったもんですから、そういうかかわりがたくさんあっていいわけですけれども、グループ活動の時はKMD先生はもうちょっと子どもと距離を置いた方がいい。どんどんどんどん中へ入っていってしまう。そうすると、子どもと子どもがかかわろうとしてもかかわりきれない。すると、すぐ「先生、先生!」と言ってしまう。先生に頼ってしまう。本来のグループ活動の場合であるならば、子どもに任せておくということですよね。もっと客観的に。そうすると先生はヒマになるわけですけれども、ヒマになったらどうするかというと、やはり、自分がどこ、だれにかかわるかということですね。それをもっと子どもを見る目を育てていただくということかなぁ。 ■注目していた子ども、心は仲間に 2つめは、仲間とかかわらせる上で不安な子どもが何人かいたなぁ。特に私が今日注目していたのは、ちょっとお名前はわからないですけれども、コの字型のここ2人いてですね、黒板の方の一番前の女の子、 (「ゆきさん」−と声あり)あぁ、ゆきさんですか、でこの子は話し合いになってもほとんど参加しておりません。だけど、目は向いてるんですね、心は向いているんです仲間に。ニコニコしながらちゃんと聴いている。KMD先生も先ほどお話の中にありましたけれども、グループ活動すると、ただちに全員がわかるようになるということではなくてですね、今はね、ただ、今わからなくてもいつかパーッとわかるようになる。大事なことは仲間の方へ向いて一緒に学ぼうとする意欲を持たせるそれが重要なことだなあと思います。 ■注目していた子ども フル回転? だから同じことがゆうすけ君にも言えてですね、え、彼は特にこういうふうなことだろうと思うんですよね。高いレベルの課題だったと思うんです、あの子にとっては。そうすると男の子は、今までいろんな学校にずーとまわって、中学校も小学校も同じで、課題が高くなればなるほどですね、男の子は考えなくなるんです。女の子は考えるんです。女の子は考えるだけど、男の子はパーっと放り投げてしまう。ゆうようなところがあるんです。ところが今日は、仲間にかかわることをさせられていますので、彼は沈黙をしないで一応そこで考えようとしています。で、頭でフル回転していたと思うんです。フル回転するんだけれど、いつも使ったことないから、そんなこと言っちゃだめかな。(笑い)フル回転しているもんですから、疲れ果ててしまったんじゃないだろうか。 ■ある中学校に佐藤学先生が行って 佐藤学先生がある中学校に行った時にですね。子どもたち休み時間になるとですね、何か大きな声を出すんです。授業中は静かなんです。休み時間なるともう、廊下でガーっと騒いでいます。 その時最初に言ったことは何かというと「授業で遊んでいて、休み時間に発散してんだよね」って言った。つまり、授業中にフル回転して頭使えば、休み時間はあんな遊んでないよ、あんな声出してないよ。だから、まだこの学校の先生方は授業で本当に深い学び質の高い学びやってないんだね、そういうふうに言われたんですよね。 授業も何も見ないでただ単に廊下から聞こえてくる騒々しい声を聞きながらですね、「あ、これは頭をフル回転させてないんだ、」そういう言い方したんですよね。それを、ふっと今、思い出したわけですけれども、あの、ゆうすけ君、たぶんフル回転したのかな?疲れてしまったのかな? でも、それだけ彼にとってはね、実りのある機会だったのかもしれない、そんなふうに思いました。 ■教材(新聞)の提示のしかた で、3つ目ですけれども、KMD先生に1つ要求するならばということですけれども、非常に子どもの発言をですねていねいに聞き取ってそしてモノやことがらにつなげていったわけですけれども、たとえば、グループにした時に最初っから新聞をあんなにたくさん用意してあったんだから置いてあげた方がよかったのではないか 何回も何回もモノと対話できるように。2回目のグループ活動の時に、先生出しましたよね、だけどあれは最初から出して自分たちで自由に見られるようにしてあげた方がよかったかなあ。 ■さわやかな授業 それから2つ目にですね、これはあの今日の時間では難しかっ たのかなあ、まあ、今日はこれでよかったのかなあという気もするんですけれども、え−とですねえ、一生懸命先生は聴いて、たとえば新聞社に行ってどんなことを質問するかということを考えさせて全体にきいてますよね。で、一つひとつていねいにきいているんですけれども、何となく、そちらの先生、社会科の先生っていわれてましたけれども、あの、他の言葉でぼく、思ってたんですけれども、ちょっと追求がなかったかなというのがあるんですね。いろんな言葉の発言をきくんですけれども、ききすぎて、実は単調になってしまったんではないかっていう気がするんですね。で、これは先生方、よくやることなんですけれども ぼく子どもの発言はしっかりきいてほしいってお願いしますよね どんな意見も素晴らしいと受け止めなさいとまた言いますよね。そうしますと、どんどんどんどんきくんです。 「あ、そう、あぁ、そう」ってきくんです。で,また、こうやってそのことを、否定しないでほしいと言うからつなげるわけですよ。ね、時間がどんどんどんどん延びていくわけです。そうすると、もうちょっと早く行けよとかですね、何モタモタしてるんだとかこうなる時があるんです。きくことと、サラッと流す部分とここはもっと時間をたっぷりかけて話し合おうという、そのことをやらないと、授業は単調に終わってしまうんです。 佐藤学先生、よく、「先生がつなげようつなげようという気持ちがあると、子どもの発言よく聴くんだ。聴くんだけれども、そのことによってなんか授業をさわやかにしてしまう。」なんか困らせるところがなきゃいけないということだと思うんですね。追求がないとさわやかで終わってしまう。ということだろうと思うんです。 ■どこで追求させるべきか じゃ、どこでさわやかにしないで追求できたのかということなんですけれども、まああの、子どもたちの場所のことでたとえば本社と印刷所というようなことが出てますよね。「なぜ2つあるの?」ときいているわけですよね。それを新聞社の人にきこうと言ってるわけですよね。ぼくはその前にこの子たちがどう考えるのかということを考えてみてもよかったんではないだろうか。 また、広告の大小というのがありますよね、そうするとなんで大小があるんだろうかということを、彼らの経験の中で語らせるということも大事なのかな。 みんなそれを新聞社で答としてきいて、書いてくるよりも、最終的にはそうなるんだろうけれども、やっぱり、自分たちで考えるということ。 そうすると、今日の時間の中では終わらないでしょうね。もうちょっと時間がかかってしまいますので、今日はたくさんあげるというのがねらいだったとすればこれはこれでいいのかななんて。 ただ、もうちょっと追求してほしかったなあというのはあるんですね。なぜ新聞紙は薄いのかというのもありました、それから1段の字数についてという、これもまた大きな問題と思うんですね。それは最初に8千字ということも出てきましたよね。で、そういうこととどこかでつながってくるのかもしれない。そうすると、どこかでつながることていうのが自分たちの中でも見えてくる。 で、見えてきたもの、そして絶対にこれ考えてもわからないこと、それを新聞社に行ってね、記者にね、自分たちはこう考えたんだけど、ここがわからなかった、言えば、ぼくは新聞社の人びっくりすると思うんですよね。あっ、5年生でもこれだけのこと考えているのかと。そういうその、ま、相手をうならせることがいいわけではないけれど、自分たちで考えたことがまずあって、それから、わからないことがあるので、調べたいんだ。何から何まで向こうが言ったことをまとめて書くよりもいいんではないかな、そういうふうに思います。 でも、5年生があれだけの学びをするということは、これからますます楽しくなってくるんではないかなと思います。そんな感想を持ちました。ありがとうございました。 ![]() |