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なぜ方言はなくなりつつあるのか?

   3年     M・H

 

 

最初に・・・

方言はどのようにできたのか?ということが気になったので

調べてみました。まず、共通語が方言の後に作られたのであり、

その土地の言葉、つまり方言が先にあったのです。

誰が作ったわけでもなく、昔からその土地の人々が生活するなかで、その暮

らしに合う ように言葉が変化していったものらしいです。昔から、人々は、それ

ぞれの地域で使わ れる言葉の違いに気づいていたのです。

 

方言がなくなってきた理由

 多くの人はよそゆきの場では共通語、くつろいだ場では方言と、ことばの二重生活をし
ていました。
しかし、方言はなくなりつつあります。これは、マス・コミュニケーショ ン、特
にラジオやテレビなどの影響
により、急速に共通語を話す人が増えてきたからなのです。
それだけではなく、何か一言いっただけで
東北弁だなどと言って笑われたりすることから、
共通語はいいことば、方言は悪いことばという価値観
が強まり、方言が 使われなくなっ
てきたのではないでしょうか。        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高齢者しか話さなくなってきた理由

 幼い頃に話していたことばとは、大人になってもなかな かなおすことはできないのです。

 テレビなどの影響がなかった時代、つまり今の高齢者が おもに方言を話している理由
だと思います。

 

東京にも方言はある

 東京にも東京方言があります。その、東京方言の目立つ特徴として、「ヒ」が「シ」になる
なまりです。

 柴田武著、日本の方言より・・・・・・「お日様がまぶしいね」という文を読ませたところ、
「オシサマ」と読む人が
半数近くいたらしいです。NHKのアナウンサーでも、マイクとスピー
カーを通ずると、「ヒ」と「シ」がきわめ
て近づくような発音の時があります。

 また、「困っちゃう」などの「チャッタ」は、「ヒ」と「シ」の区別とともに、これが 東京方言の
もので、共
通語のものではないのです。

 

東京方言は、江戸弁だと思っていたので少し驚きました。

 

 

 

方言コンプレックスについて

 

  方言コンプレックス

 

一度でも自分の方言を笑われると、もう笑われないよ うにずいぶんと気を使うあまり話その
ものをしなくな
ることを方言コンプレックスという。      

東北弁の「ズーズー弁」は、面とむかって、また、陰で、東京人を笑わせるのである。方言コ
ンプレック スは
東北の人に多い。

 
祖母の話
                                                                                                    
祖母が東京にいったとき、近所の人と話をしていたら、いきなり「東北の方ですか?」と
にやにやしながらいわれたそうです。

それから、1,2か月話すことができなかったそうです

1ページ目にもかいているのですが、方言に対する劣等感、方言コンプレックスが、共通
語をいいことばと思わせているのなら、
これは問題だと思います。

 

 方言コンプレックスを生んだもの

方言コンプレックスはどうして生まれたのでしょうか? その最も深い源は、明治なかば以後の
標準語教育にあると思います。なま
りを無理に改めようとしても、それは成功しないことだから、
交通をさかんにすることによって、知らず知らずのうちになまりを直す
ようにするのがいい、という
考えが代表的でした。ところが、日清戦争のころから民族意識が高まり、国家統一の1つの手段
とし
て、国語の統一が叫ばれるようになりました。やがて、国語教育では、「方言撲滅」や「方言
矯正」などがその目標のひとつのなり
ました。


なぜ東京を土台にするのかというと、ことば自体に理由はなく、ことば以外の理由です。それは、
明治の大革命が行われたときに
、たまたま、首府が東京であり、政治・経済・交通をはじめ、すべ
てが東京中心に行われるようになったからです。ことばも東京方言
を中心にすべきだという考え
で、いわゆる「標準語教育」が行われてきました。しかも、東京の人口が日本の人口の1割をしめ
るよ
うになったために、この言語を日本語の代表とする考えはいっそう有力になっていました。

 

「方言」という言葉には、歴史的には、差別的な、あまりよくないイメージがつきまとい、標準語より
も劣位にある言葉だというニュア
ンスがつきまとうことが少なくありません。これからは「地域語」と
いう捉え方をしていく必要があります。

 

 

          方言の分布

 

 

東北地方の方言の特徴は、「イ」と「エ」がまじる。「駅」や「息」の最初の音を、「イ」でもない、
「エ」でもない、その中間の「e」音
で発音する。「駅」と「息」とを区別せず、「e」で発音するところ
は各地にあるが、東北地方全般にこういう発音のところが多い。

 

方言の危機と市民の力                          

日本語がなくなると聞くとぎょっとするが、方言が滅びると言っても驚く人は少ないだろう。日本
語が国家レベルの言語であるの
に対し、方言は一地方の言葉に過ぎないからだ。方言が消えて
しまったところで、生活に深刻な影響が出るわけでもない。

しかし、地方の主体性や独自性が強調される時代に、言葉だけがすっかり共通語に代わってし
まってよいはずがない。方言
には、そこで暮らす人々の考え方や文化が反映されているから、
その損失は地域社会のアイデンティティーにとって大きな痛手
となるにちがいないのだ。
しかし、いくらそう息巻いても、実際、方言の衰退は勢いよく進行中である。共通語は便利さの象徴
あり、共通語のみで生活した方が合理的でさえある。したがって、消えていく方言に歯止めをか
けることは、現実的には難しい。

となると、せめて方言の記録だけはしっかり残していかなければ、という気持ちになる。仙台人が
ここ仙台という地に生活して
いた証として、言葉の記録を後世に残しておきたいのである。われわ
れ一人一人が方言のもつ魅力と価値を認識しなければ
実現できないことである。今までにも、例え
ば、方言集というかたちで方言の記録を残してきた人たちがいる。そうした試みは、
こういう時代
だからこそ、たくさんの市民に広がってほしいと期待する。あるいは、録音機やビデオの発達した
時代である。音と
映像で生き生きとした方言の様子を孫たちに伝えるのもいいのではないか。  

        http://www.smt.city.sendai.jp/oldcontents/ja/index.html 
            せんだいメディアテークのホームページの中から情報入手!

 

                                                                     


日本の方言より、「もし、将来、全国が1つの地域社会になるならば、方言は1つになる。すなわち、
方言は1つになる。しかし
、老人などには遅くまで残るであろうし、家庭の中の方言が姿を消すのは
一番終りになるであろう。こうはいっても、実際に方言はなく
なってきている。言語形成期をその地域
社会で過ごせば、その方言が一生を支配する。各地共通語に対して、たがいに寛大な気持ち
で接し、
それを理解しあうことに努めれば、方言はずっとなくなることはないと思う。だから、方言を撲滅する
などという考えはやめて、お
のおのが自分の方言を観察するようにしたい。それによって、方言への
愛情もわき、血の通った共通語を話せるようになると思う。方言
は隠すべきもの、はずかしいもので
はなく、将来の日本語を肉づけするものなのである。」     柴田武

 
これを読んで少しほっとしました。
いつか、「方言は田舎くさい」というイメージが消えてくれればいいなと思います。

私は今まで「方言」について調べてきて、東京にも方言があることや、方言コンプレックスなど、知らな
かったことがたくさんわかったので
良かったと思います。

方言を調べることで、方言への見方も少し変わりました。調べる前までは、秋田弁は田舎くさいから
いやだ、とか、自分の地域の方言に
対する劣等感をもっていましたが、調べるうちに、方言はその
地域の特色を表したもので、別に田舎くさくはない、と思うようになりました。

これからは、方言に対する見方をかえていって、自分の地域の方言に劣等感がなくなればいいなと
思います。


21世紀も、ずっと方言を残していってほしいです。

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