2年 組 氏名  I・F

研究テーマ 大曲の花火について
 
                                           
1.テーマ設定の理由
                       
 花火を選んだ理由は、2つあります。1つ目は、小さい頃から花火を見ていて、その花火がどうなっているのかを調べてみたかったからです。 2つ目は、大曲の花火がいつから大会になったのか、花火の歴史、全国にどのくらい花火大会があるのかと疑問に思い、これを調べることにしました。


2.調査の方法
(1)インターネットで検索
(2)大曲産業展示館に訪問


3.実際に調査したことのまとめ
(1)大曲産業展示館を訪問して
 大曲産業展示館にいってみて、花火の年史や玉の大きさ、形などとても勉強になったと思い ます。
(2)インターネットで調べてわかったこと
 大曲の名物が、大会提供のワイドスターマイン(連発)。
 幅1キロもある河川敷をステージに見立て、テーマ曲に合わせて展開する一大ページェントです。この大会で打ち上げられる玉は、大曲花火協同組合青年部が1年かけて製作しています。








【玉の大きさ】
 花火には、さまざまな分類方法がありますが、その中に、玉の大きさによる分類があります。ふつう、日本では尺貫法の寸(1寸=約3.3センチ)を基準とし、直径が3寸なら3号玉、1尺なら10号玉と言います。しかし、実際は、3号なら3寸(9センチ)というわけではなく、3寸の筒で打ち上げられます。3号玉が開いたときの大きさは直径60メートル、10号玉だと直径320メートルにもおよびます。

【花火の打ち上げ方】
 打ち上げにも、いろいろな方法があります。単打ち(玉を一発ずつ打ち上げる)、早打ち(一本の筒から連続で25玉程を打ち上げる)、連発(筒をたくさん並べて導火線で次々と点火し、連続で打つ。スターマイン)、重ね打ち(1本の筒に2個以上の玉を入れて同時に打つ)、対打ち(2本の筒から同時に打つ)、他に、アメリカで採用されているロングヒューズ方式があります。
 この中で、早打ちは日本独特の打ち上げ方法です。頑丈な鉄筒の底部に炭火で真っ赤に焼いた鉄片(焼金)を入れ、その鉄片の上に打ち上げ火薬を取り付けた「早打ち玉」を落とすのです。火薬に火がつき飛びあがったら、すぐにまた次の玉を落とす、という方法で1本の筒を使い、たくさんの玉を連続して打ち上げられます。

【花火の音】
 「腹に響くようなあの音がたまらない」などという話もよく聞きますが、その通り、花火には音がつきものです。筒から玉を打ち上げるときの音(=発射音)、玉が上空で開くときの音(=開発音)。また、花火の種類によっては、菊の花弁の先で消えるときにパリパリと鳴る「先割の音」、ピューという音がする「笛花火」、ブーッという噴射音を鳴らす「蜂花火」など。他にも、雷(らい=音花火)という、信号に用いる花火があります。運動会の日などに鳴るものがそうです。発音のリズム(時間差)や音の高低は、導火線の長さや発音薬の材質、量、また、原料のアルミニウムの粒度・純度によって調整されます。このような性質を利用し、「ドンドンパンパン、ドンパンパン」という、秋田の有名な民謡を夜空に響かせた花火師もいます。


 大曲で花火を打ち上げた歴史は古く、文献上では大曲に花火らしきものが初見されるのは、菅江真澄著の「月の出羽路」の大曲の項に描かれている民俗行事「大曲の郷の民流」の挿し絵にあります。「月の出羽路」は文化・文政期に書かれた地誌ですが、その挿絵に、丸子橋の上を行く眠り流しの灯篭の群とともに、後方の川原で打ち上げられている狼煙(初期の花火)が描かれています。
 資料はありませんが、伝えによると、当時、大曲は米産の中心であり、雄物川を利用した米・日用品・海産物などを満載した船便の発着する川港としても栄えていました。それにより、有力な地主・商人の繁栄も見え始めました。船の発着場周辺には豪商が軒を連ね、歓楽街・繁華街が形成され、商人の接待、また行事や祭などで、連日のように花火が打ち上げられるようになりました。これには、常盤から秋田藩へくら替えとなった佐竹の殿様に随行していた花火師が雄物川の氾濫で六郷に足留めされた際、地元の美人娘と恋におち、この地に住み着いたため、この大曲・仙北を中心に花火の技法が伝わったと言われており、需要に応える下地となっていったようです。
 
昭和6年(1873)花火大会の宣伝隊 高柳政治著「あの頃あの時」より
 「大曲の花火」は、明治四十三年(1910)八月二十六日・二十七日に、諏訪神社において六県煙火共進会として開催されたのが始まりです。そして、大正四年には今までの奥羽六県の大会から「全国花火競技会」と名称を変更し、大会の規模の拡大とレベルアップが図られ、花火業者は毎回新しい技術を取り入れながら、錬磨し、競い合ってきました。途中、戦争のため、一時中断はあったものの、今回で73回の歴史を数えるにいたっております。
「大曲の花火」が、識者の間で最も権威ある大会として位置づけられているのは、花火は花火をつくった本人が打ち上げなければならないこと、次に、この競技では通商産業大臣賞・科学技術庁長官賞・中小企業庁長官賞が授与されることからで、全国の花火師が目標とする日本一格の高い大会です。
 ※ 昭和六年当時、ハーモニカと太鼓を伴奏に唱われた花火音頭をご紹介します。

『大曲花火音頭』           
 1 秋田すし米 名の出たところ        2 みこしお供の さむらい姿   
   なびく田んぼは 黄金の波            せめてお寄りし お茶なりと 
   ヨイサ花火が ポンポン上がりゃ      3 風にくるくる あの矢車が   
   パラリと 咲いてさ ヨイサ大曲         やがて彦綱 執る若衆    
   ヨイトヨイトサヨイトサ     
 

4.調査結果から分かったことや課題
 この「大曲の花火について」を調べてみて、たくさんのことを学びました。1つ目に、学んだことは、大曲産業展示館に行ったことです。昔の花火の形や、大きさ、「大曲の花火」の年譜など、いろいろなことが分かったので、ここにきて良かったと思います。
 次に、インターネットで、調べて分かったことを言います。ここには、花火が打ちあがったときの形や、花火の特徴や、ゆらいなどいろいろなことがのっていたので、とても勉強になりました。 これからの課題は、東京の花火の歴史やその花火の特徴などを調べてみたいと思います。


写真提供は大曲市役所です。ありがとうございました。

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