秋田北中学校の校章
 創立当時はまだ校舎ができていなかったため、学校名が「秋田北中学校」と変わっただけで、生徒はそれまでと同じように飯島校舎、下新城校舎、金足西校舎、金足東校舎で生活していた。各校舎には伝統的カラーがあり、北中意識は低かった。北中意識高揚のため、校章の制定を急いだ。
 各校舎の生徒から図案を5点ずつ募集し、審査の結果飯島校舎3年、若狭慶吉さんの図案が採用。
 秋田市の日の出記章店が修正。
 さらに当時の追分郵便局長である奈良園一氏が再修正。
 昭和37年4月28日に現在の校章が制定。