補陀寺 



  補陀寺の起源

今から六百五十年前、月泉禅師という和尚さんが、修行の場をさがして松原のあたりを歩いていると、一人のおじいさんが現れた。
月泉禅師は、おじいさんの決めてくれた場所を修行の場とし、お寺を建てた。これが補陀時のおこりである。
月泉禅師はおれいに仏様の教えをおじいさんにさずけた。おじいさんはとても喜び、今後一生水に困ることが、ないようにと、わき水を出してくれたあと、本当の姿『かめ』(かめの姿をした神様)となって山へ消えた。
この水を飲んだ人は、死んだあと、地獄の閻魔様に、極楽へ行くことを許されるということで『極楽水』とよばれ、多くの人々がやってきた。
この水はとてもおいしくて、これまで一度もにごったりかれたりしたことはないそうである。
看板です。右から読みます。(念のため。) 「極楽水」です。飲んで来ました!


松原の柿


補陀時の和尚さんが、上方から柿の木を持ってきて植えた。
村の人たちが、実を分け、根を分け、つぎ木をして畑に植えたのがやがて林になった。
この柿は「松原のとらふ柿」と言われ、山が色づくころうれた柿になり市場で売られた。
たいへんおいしく、種のないめずらしいくだものだった。
これが「松原の柿」です。 こんなに大きな柿の木なのです。