秋田市立秋田北中学校
     
 
     
秋田北中学校の校章
   
秋田北中学校校章   学校創立当時は,学校名が「秋田北中学校」と変わっただけで,生徒はそれまでと同じように飯島校舎,下新城校舎,金足西校舎,金足東校舎で生活していました。そのため,秋田北中学校の生徒という意識が低く,意識の高揚を図るため,校章の制定を急ぎました。
 各校舎の生徒から図案を5点ずつ募集し,審査の結果飯島校舎3年若狭慶吉さんの図案が採用されました。この図案を参考に当時の追分郵便局長である奈良園一氏が作成し,昭和37年4月28日に現在の校章が制定されました。(正式な考案者は奈良園一氏)
 
 
秋田北中学校校歌 
 
1. 荒波たける日本海に  くじけぬ気魄授けられ
   みどり明るき秋田野に  かがやく希望つちかいて
   伸びゆく我等  たのしき我等  あゝ  北中の若人我等
2. 嵐に怖じず雪に負けず  力を協せ我等ゆく   
   高き真理の峰をよじ  叡知の林究めつつ   
   伸びゆく我等  たのしき我等  あゝ  北中の若人我等   
3. 砂丘を踏みて若き春に  交せし誓忘れまじ
   秋田だましいたくましく  日本の未来担わんと
   伸びゆく我等  たのしき我等  あゝ  北中の若人我等
 
●校歌の完成
 作詞は奈良環之助氏を通して西條八十氏に依頼しました。西條氏は昭和38年9月17日来校して本校の事情やとりまく環境を見聞した上で作詞にとりかかり、11月に完成、本校へ送付しました。本校ではその作詞について希望意見を付して返送しました。西條氏はそれにより更に推稿したものを古関裕而氏に回送して作曲を依頼しました。
 昭和39年1月15日、作詞・作曲とも完成しこれを受領しました。

●作詞家  西條 八十(さいじょう やそ)
 明治25年東京に生まれる。早稲田大学在学中より詩作に取り組み,フランスにも留学したほか、早稲田大学教授などもつとめまし。その詩はロマン的・幻想的で「かなりや」の歌はよく知られており、童謡詩、民謡、歌謡曲の作者として有名です。昭和45年8月没。

代表作 「東京行進曲」「東京音頭」「涙の渡り鳥」「青い山脈」
    「鞠と殿さま」「肩たたき」「同期の桜」など

●作曲家  古関 裕而(こせき ゆうじ)
 明治42年福島県出身。山田耕筰に師事して作曲を学びました。哀調を帯びた流行歌やマーチなどを数多く作曲し,人気を博しました。昭和39年,東京オリンピックのための行進曲「オリンピック・マーチ」を発表しました。平成元年8月没。

代表作  「栄冠は君に輝く」 「長崎の鐘」 「イヨマンテの夜」
      「君の名は」 「鐘の鳴る丘(とんがり帽子)」 「六甲おろし」など

西條八十・古関裕而のコンビは数々の名曲を世に送り、多くの国民に愛唱されました。
 
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